積ん読 その8 [読書不可侵条約系]
清沢 洌 『暗黒日記』(2004)岩波文庫
ずっと以前から気になっていた本だった。以前にも一度手に取り、ぱらぱらと数ページ読んだことがあったはずだが、結局読まずじまいになっていた。今回ようやく読むことができた。この本は、ジャーナリスト・評論家の清沢洌が戦時下において記した日記(備忘録)である。全編を通じて清沢の多彩な交友関係には驚かされる。『東洋経済新報』への執筆、外交研究会などの勉強会を通じて、幅広い面々と交わっている。石橋湛山、柳田国男、長谷川如是閑、蝋山政道、正宗白鳥、鳩山一郎、岩波茂雄、安倍能成、三木清、幣原喜重郎などなど。知識人や政財界人のみならず、警察関係者、外交官などにも知己が多い。多彩な交友関係からもたらされる貴重な情報、たとえば政府内部の大臣や官僚の動き、戦時政策や敗戦前の和平工作の動向など、かなり正確な情報を得ていたようだ。もちろんそれだけでなく、本人のアメリカ滞在経験から来る確かな視野も特筆すべきだろう。
日記を読んでみると、言論の自由のない、まさしく暗黒のような社会情勢の中で、彼が保持し得た冷静で確かな観察眼に感嘆させられる。
1943年
四月三十日(金) 一、朝のラジオは、毎日毎日、低級にして愚劣なるものが多い。否、それだけの連続だ。昨朝は筧{克彦}博士というが、のりとのようなことをやった。最初にのりとを読んで、最後に「いやさか、いやさか、」と三称してやめた。ファナチックが指導しているのだ。・・・
というように、あの神がかり的な時代にあって、理性とリベラルさ、先を見通す眼、そして愛国心を失わなかった著者の姿勢には強く惹かれるものがある。
八月二十九日(日) アッツ島の山崎大佐が二階級飛びで中将になる。・・・ 「鬼神も哭く」式の英雄は、もう充分なり。願わくはもはや「肉弾」的な美談出づるなかれ。そして作戦をしてさような悲劇を繰り返す如き方途をとらしむるなかれ。
すでにこの時点で、その後も繰り返されることとなる玉砕戦の悲劇を予感している。
中央省庁の統廃合に関して
十月三日(日) ・・・ (一)機構いじりー形式主義が依然としてイデオロギーの中心である事 (二)形式を変えなければ、それが中心で動いてきた役人は、そのセクショナリズムから離れ得ない事 右の第二は日本人の特異点として注目さるべきだ。 何人の頭の中にも、現下の最大問題が陸海軍の統合融和にあり、そこにまず省改廃のメスが下さるべきはずだと考えているのに、一言もこれに言及するものはない。
これは現在の日本の官僚制度にも通じる批判であろう。
十月十九日(火) 『毎日新聞』に、徳富蘇峰と本多熊太郎{元駐華、独大使}の対談会載る。開戦の責任は何人よりもこの二人である。文筆界に徳富、外交界に本多、軍界に末次信正、政界に中野正剛ーこれが四天王だ。徳富も本多も客観性皆無。 ローゼヴェルトがアルゼンチンのユダヤ人弾圧を攻撃している。米国が人種問題を云々する資格あるか。 徳富は東条に例によって太鼓持ちぶりを発揮している。この連中が第一線に出るべきだ。統制経済や社会主義は公徳心の完成を前提にす。水道などが壊れても職工は決して修繕せず。
ここでは、戦争を煽った開戦責任者を指摘、米国のダブルスタンダード批判、統制経済のまずさへも目を向けている。
1944年になると、戦局はしだいに悪化の一途をたどる。著者が早くから危惧していた方向へと進み始めていく。
七月四日(火) ・・・蝋山君とも話したことだ。事態がこうなったのは我らの予言の的中だ。無知な連中の指導の結果がいかなるものであるかを示すことは感情的には不愉快ではないかもしれぬ。しかし我らの国家が、悲惨になることは、これまた堪えられないことだ。そこに矛盾がある。 僕は蝋山君に、他日、新たに作られるであろう日本憲法に二つの明文を挿入してくれといった。 二つとは言論の自由(これについて個人攻撃には厳罰を課すこととし)と、それから暗殺に対する厳罰主義である。
近い将来の敗戦(さらには革命)を予感し、新しい社会には何より自由が求められることを説く。
七月十九日(水) ・・・サイパンの全日本人が玉砕したのは、今後の問題を提供する。そうした死に方は犬死にならないのか。日本のためであるのか。ー無論、現在の軍指導の下にあって、それ以外の道に、出づるのは困難だが、最後は死ぬために戦ったようなものだ。
すでに記したように、当時の指導層に悲観している彼にとっては、殉国美談的な玉砕ほど、意味のないものにうつる。
1945年ともなると、もはや敗戦は時間の問題となり、本土も爆撃に曝されるようになる。
自宅に焼夷弾が落ち、息子と消火しながら
四月十五日(日) ・・・ この火事を見、火事と戦って、僕は何か憎くて痛憤した。怒り心頭に発すとはこの事だろう。しかしそれが、ただ「米国」という敵だけではないようだ。僕は盛んに「米国の奴め、癪に障る」といった。それには明らかに、人に聞いてもらいたいためのせりふが交じっていた。「親米的」といわれはしないかという懸念から、特にそうした点を強調するのである。だが、何かに対し憤りを感じなかったというのならば明らかに嘘だ。「こんな戦争をやるのは誰だ」と、僕はこの愚劣な政治と指導者に痛憤していたのである。・・・
と、こうした愚劣な戦争を引き起こしたものに対する怒りの感情をあらわにしている。
一読して、彼の筋を曲げない立派な思考に感銘を受けた。はたしてあの時代に彼のような鋭く冷静な、かつ情熱を失わない眼を持つことができた人間がどれほどいたのだろうか。
清沢は敗戦を前にした45年5月21日、肺炎がもとで急逝してしまっている。何より求めた言論の自由を待たずして。彼がもし生きていたら敗戦後日本の新しい姿をどのように描き出していたか、気になるところである。
きゃーアイコンがすすむってるー
とてもこわいデス
by cochan (2005-11-13 02:26)
ハイッッッッッッッ!!!!
by わらばー@見ッチェル (2005-11-13 02:31)
ひぃいいいぃぃぃいっぃ
やーめーてーぇぇ(横山弁護士)
妊娠しちゃいますぅ。
by cochan (2005-11-13 02:33)
あっ、こちゃんもいる。
ミッチェルさん、朝からアイコン見て、びっくりしましたぁw
by aroma (2005-11-13 06:58)
>cochanさん&aromaさん
ひさびさにアイコンを変えてみました。なんか変?w
by わらばー@見ッチェル (2005-11-13 16:09)
休養十分のミッチェルさんの動向にますます期待w
by aroma (2005-11-14 09:15)
>aromaさん
いやー、休養しすぎて脳が溶けてしまいましたw
by わらばー@見ッチェル (2005-11-14 11:16)