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積ん読 その5 [読書不可侵条約系]

保坂正康『あの戦争は何だったのか-大人のための歴史教科書』(2005)新潮新書

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書

あの戦争は何だったのか―大人のための歴史教科書

  • 作者: 保阪 正康
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2005/07
  • メディア: 新書

本書は、まず旧日本軍のメカニズムの説明から始まり、二二六事件を出発点として太平洋戦争の緒戦の快進撃、泥沼化、そして敗戦へ至る道のりをえがきだす。

あの戦争を「侵略だった」とのみとらえる形骸化した反戦平和主義、その反動として現れた「自虐史観で語るな」と叫ぶ人々を、同じ感情論のコインの裏表にしか過ぎないと批判し、さらには「戦争を語り継ぐ」戦争体験者の声をも断片的なものであり戦争全体を知るものではないとバッサリ斬り捨てている姿勢は勇ましい。しかしながら、本書がこれまでのこうした様々な戦争を論ずる書に比べて、あの戦争の全体像をより深くとらえているのかどうかは疑問だ。

「太平洋戦争の戦史を克明に追ったわけではないし、これまでの書のように政治的に、あるいは思想的に語ったのではない。日常の次元に視点をおろして、私たちの問題として考えてみたいと思って編んだ」とあるが、日常の次元に視点をおろしたという点ははたしてどうだろう。

なぜあの戦争の検証を「二二六」から始めるのか、という点もやや疑問だ。著者はテロを恐れる空気が全国民を麻痺させ、あの戦争へ一気に突き進ませる要因となったから、と説明しているが、むしろ、オーソドックスに満州事変あたりから説き起こすべきだったのではないだろうか。なぜ日本が大陸(満州)にあれほどまでこだわったのかという点はかなり重要だと思うのだが。

本書では従来唱えられてきた「陸軍悪玉説」を否定し、開戦に導いた真の黒幕は海軍であったととらえている。これは近年の研究成果を反映したものだろう。ところで、「昭和天皇に責任はないとも言い切れない」、と著者はいうが、その理由はあげられていない。本書全体を通して天皇は一貫して戦争に消極的であったと論じているにも関わらずである。この点はもっと突っ込んで説明して欲しかったと思う。

それから最後に、敗戦後もアジア各国にとどまり現地の独立運動に参加して死んでいった兵士たちの存在をあげている。彼らの存在を戦後日本社会は忘れ去ってきた。著者はそこで主張する。大東亜共栄圏はアジアの独立・解放のためであるとし、ひいてはあの戦争を肯定する人たちがいるが、戦後日本で安穏と暮らしながら臆面もなくよく言えるな、と。歴史から抹殺された彼らのことを思うとそのような発言に不謹慎な響きを感じる、と。しかし、考えてみれば、彼がここで批判する「大東亜戦争肯定論」の立場の人たちが、忘れられていったそうした兵士を取り上げてきたのではなかったろうか。そして、大東亜戦争を否定的にとらえてきた立場の人たちこそ、そうした兵士を忘れ去ってきたのではないか。ここで本来批判されるべきなのは、そうした兵士の存在を理由にしてあの戦争がアジア解放のための戦争だったと強弁する肯定派の論理であり、逆にそうした兵士を見過ごしてきた(見ないようにしてきた?)否定派の怠慢、その双方ではないだろうか。

・・・といくつかの点で疑問は残るが、あの戦争の様々な側面を美化することなく、またこれだけコンパクトにまとめたという点は評価できると私は思う。


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